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マンションの注文建築「コーポラティブハウス」vol.82 


都心・安い・自分仕様
コーポラティブハウスの魅力

都市景観を語る言葉 (13)みんなの広場

(株)アーキネット代表 織山 和久

 新宿の高層ビルの足元。うららかな昼下がり、広場には日差しを浴びながら、のんびり過ごす人たちが集まる。植栽が目に優しい。広場にはあいまいながらも中心となる舞台もあって、休日には大道芸人らもここで芸を披露する。脇にはカフェが控え、ここではよもやま話しできる。広場は広すぎず狭すぎず、道から一段下がった場所につくられて、道行く人々が自然に下りていける。

新宿三井ビル 自己完結型で名前ばかりの公開空地ではなく、人間本位の広場を目指して計画された。浜野総合研究所による。

 こうした光景を眺めると、広場は街には欠かせないとしみじみ思う。そして歴史を振り返ると、広場はまちの素、市民社会の素であることが分かる。

まちの素

 広場は街の素だ。広場は、大勢の市民のたまり場としてにぎわい、その周囲には自ずから娯楽・商業施設が連なる。
 東京では、上野、両国、日本橋、馬喰町、高田馬場、溜池、巣鴨などが広場から発展した街である。いずれも江戸時代に遡る。上野広小路、両国広小路は、明暦の大火以降の防火対策の一環で、火除け地としてつくられる。防火対策なので常設建物は許可されないが、幕府は管理費捻出のために仮設店舗(最初は違法だっただろう)を認めて民間に貸し出す。ここに床店(屋台)、茶屋、見世物小屋、相撲稽古場などが並んだ。日本橋は河岸が水産物などの陸揚げの場だったが、橋のたもとなど周辺の空地に魚市が立って繁盛した。馬喰町や高田馬場は、町人地の空地に設けられて、馬の市で馬を見定める、人々は馬乗りに興じる、といった馬のテーマパークとして賑わった。溜池は、上水用(兼防備用)の人工池として造成されたものに、蓮を植えフナ・コイを放流して名所となった。そして溜池のほとりには、歓楽を求める人々が集まり、茶屋(いまの風俗店)も建ち並んだ。巣鴨は高岩寺の縁日、新宿は花園神社の酉の日、に露店・見世物小屋で境内が賑わうことから発達した。
 こうした広場は、いまの商業施設と決定的な違いがある。広場は周りに開かれて、誰のものでもあるが誰のものでもない。機能も限られない。一方、商業施設は来場者を囲い込んで逃がさず、場の所有者は特定される。賃料収入を上げるための商業・飲食業にほぼ機能は限定される。商業施設には○○シティや○○プラザと名付けられるが、実は広場の本質とは対極にある。

市民社会の素

 広場は、市民の政治的コミュニケーションの場でもあった。人が集まるので、広場では瓦版も配られて時の政治や世相も話題とされる。後に禁止された赤穂浪士が典型的だが、見世物小屋でも政治の話題に触れる。一方の幕府や藩も、高札にお触書を掲げた。日本橋は晒し場として、罪状を書いた捨札とともに罪人を衆人環視に晒す刑も実施された。
 村々でも、広場は政治的コミュニケーションの場となっていた。百姓一揆も、寄合を寺の社務所で開いて増税反対等で結束する。それから広場、寺の境内に大勢が集まり、強訴、越訴などの手続きを進める。名主の不正経理、代官の苛酷な取立などが訴訟の対象だ。境内は公権力の手も届かず、人々が集まりやすくて、誓いを立てるにもふさわしい場所だった。
 明治以降も、広場は公論形成の場でもあった。自由民権運動の頃は、市民にとっては福沢諭吉らの演説を聴くのが一大娯楽で、演説する側も弁論の練習を重ねていた。集会条例等で政府の取り締まりが厳しくなると、添田啞狄坊らが演説を歌に乗せて流行歌にするようになる。これが演歌の起源である。名古屋の米騒動でも、最初は鶴舞公園で何人かが演説し、聴衆が歩き出したところ に途中から続々と人が増えてきて暴動になっている。陸軍出身の桂太郎が組閣したときも、演説会や国民大会が連日のように開かれ、軍拡や官僚閥に反対する 人々が数万人も集まり、交番を襲ったりする。戦後も、新宿西口駅前に反戦のフォーク運動が始まり、そこに大群衆が集まった。
 ふだんはのんびりした市民の憩いの場だが、公権力が暴走しそうになると、広場は公論と市民運動の場に転じる。広場は市民社会の土台だった。

広場潰し

 でも、一連のデモや市民運動以降、広場はこうした市民たちが大勢集まる場所にならないように、と作られていく。東京都公安条例(1949)、そして道路交通法(1960)がその法的根拠となる。集会やデモは、届け出と公安委員会の許可が必要となり、「五列縦隊のこと」「梯団と梯団の間は、一梯団の長さだけ空けること」という条件までつけられる。また「道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。」は道路における禁止行為とされた。
 こうした流れで、駅前広場などはバスターミナルや車寄せとして道路に転じる。広場に当たる部分には、人を寄せ付けないように周到に植栽が施される。大勢の人が集まることのできるゆったりした公園は、昇降客数の多い駅前などからは離してつくられた。そこには集会やデモに、途中からどんどん人が加わらないように、という狙いが伺える。そして公園は条例によって、休息、観賞、散歩、遊戯、運動等に用途は制限されて、公権力によって管理される。このようにして市民社会のための広場は潰された。

新宿西口広場 1960年代末、毎週土曜日の夜、フォーク集会が開催される。そのうちに安保反対を叫ぶ学生・労働者がデモをはじめた場所だった。

 このようにすっかり道路に変わり果てたような広場を見たら、「ちゃんとちゃんとのまちの素」と唱えて、本当の広場を求めていこう。誰ものものであって、誰ものものでない。街に開かれていて、自然に人が集まれる。機能も限られず、憩いの場、娯楽や買い物の場でもあり、ときには公論形成の場にもなる。本当の広場がある街には、きっと市民社会が根付いているはずだ。

筆者プロフィール
株式会社アーキネット代表。土地・住宅制度の政策立案、不動産の開発・企画等を手掛け、創業時からインターネット利用のコーポラティブハウスの企画・運営に取組む。著書に「東京いい街、いい家に住もう」(NTT出版)、「建設・不動産ビジネスのマーケティング戦略」(ダイヤモンド社)他。

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